SUBARU陸上部の滑和也選手

2018年3月29日(木)

 

SUBARU陸上部の情報はこちらから

SUBARU陸上競技部ホームページ

 

2011年入部から7年、本人はとても幸せだったと思います。

 

2018年2月25日(日)
東京マラソン
SUBARU陸上部 滑和也
55位 2時間19分28秒

 

SUBARU陸上部の奥谷亘監督と、東京マラソン後に。

 

 

 

2018年3月、北海学園大学陸上部長距離メンバーに囲まれて。

2011年4月にSUBARU陸上部に加入し丸7年。
あっという間の7年でしたね、滑和也選手。
7年も経ったというのに、あの頃と全く変わらない。
市民ランナーだった彼が、まさか、実業団選手になるとはね。
速くて、強くて、若くて、それに見合ったキャリアを積むと、ましてや実業団選手ともなると、
上だけを見てしまって、今までの恩や、それまでの仲間のことを忘れることが多いものです。
それをまあ、札幌に帰省するたびに連絡をくれて。
彼が愛され続けるのは、そういうところです。
もちろん、選手としても頑張りました。
結果が全ての実業団で、選手として7年務めるのは容易ではありません。
滑ちゃんの大会結果、いつもSUBARUホームページでチェックするのが楽しみでした。
結果が良いと喜び、そうでないと、落ち込み・・・
辛いんだろうなあとか、何を考えているんだろうなあとか・・・
これで踏ん切りがついたでしょう。
これからの人生、全て人とのつながりです。
まだまだ走り続けるとは思いますが、実業団選手としては一区切りですね。
今の気持ちを忘れなければ、大丈夫です。

 

2014年1月1日、3年目でようやくニューイヤー駅伝に初出場(区間4位)

 

颯爽としていました。

 

2015年1月1日(ニューイヤー駅伝/区間10位)

 

2015年7月のホクレンディスタンス深川大会。

 

2016年2月延岡西日本マラソン(9位/2時間20分51秒)

 

2016年4月チェレンジミートinくまがや。

 

2017年のびわ湖毎日マラソン、2時間15分45秒。

 

2017年仙台国際ハーフマラソン(1時間04分52秒/22位)

SUBARU陸上部の選手としては最後のレースとなった、東京マラソン。
ケガを押しての出場だったそうで、万全の体調で挑めなかったのが悔やまれますが、
どんな形であれ、SUBARU陸上部の選手として走るのは最後となるわけですから、走らないわけにはいきません。
この日のための練習もつめず、きっと最後という実感はなかったでしょうね。
ですが、そもそも市民ランナーからスタートし、実業団選手にまで上り詰めたこと自体、奇跡なのですから。
たぶん、本人もそう思っていると思います。
よく頑張ったね、滑ちゃん。

 

写真提供は、SUBARU陸上部ホームページより。

 

序盤はまずまず。

 

雷門付近、集中した表情ですね!

 

折り返し地点で、かっこいいですね!

 

東京マラソン2018
滑和也
2時間19分28秒 55位

 

【5km毎のラップ】

15分17秒-15分42秒-15分44秒-15分48秒-
16分04秒-16分44秒-18分02秒-18分32秒-
ラスト2.195km-7分35秒

前半ハーフ 1時間06分03秒
後半ハーフ 1時間13分25秒

 

北海学園大学時代から卒業後も走ることを最優先に考え、就職先を模索していました。
北海学園大学陸上部には当時、指導者もおらず野放し状態でしたから。
彼らのルールは、彼らに都合のいいルール。
彼らの常識は、大人にとっては非常識だったのかもしれません。
そんな環境の中、滑和也は、

「自分は出し切った感はない、これで終わりたくない」

そう思ったのでしょう。
地元の市民ランナーとして、誰より真剣に走ることに取り組む姿勢でした。
そして卒業後は、作.AC北海道を選んでくれました。
いつも30代、40代の中に若者が一人、でしたね。
社会人になってからも、どんなに忙しくてもランニング教室、チーム練習会には顔を出してくれました。
作.AC北海道を盛り上げてくれて・・・感謝しきれません。
滑和也選手に転機が訪れたのは2010年のホクレンディスタンスチャレンジin札幌でした。
多くの実業団関係者が見守る中、1500Mで優勝。

 

1500M(3分48秒88/優勝)

 

スタートから鋭さがありました。

 

最後のスパートはかっこよかったです。

 

優勝インタビュー。

これがきっかけとなり、実業団チームから注目されるようになりました。
そして2011年4月、群馬県太田市にあるSUBARU陸上部に入部が決まりました。
作.AC北海道で2年、そしてSUBARU陸上部で7年、合わせて9年。

私自身、大学にこだわって進学したわけではなかったこともあり、北海学園大学に対し深い思い入れはありませんでした。
なので後輩の行動には、見て見ぬふりでした。
面倒なことには巻き込まれたくないという、典型的なパターンです。

 

北海学園大学陸上部長距離ブロック。

今は逆に、学生たちから教わることばかり。
自分にも指導者が欲しかった、なんて今更ながら思います。
誰からも注意されないのはむしろ自分で、正義を貫いて来たつもりが、
それはただ単に、自分の気持ちを押し付けただけに過ぎなかったのですから。
結局は正しいも、正しくないもないのですよね。
いつも、自分自身がしてもらいたかったことを、相手に心がけていますが、
きっと大学時代、滑和也選手もそうしてもらいかったのでしょうね。

 

2016年の札幌スポーツ館ランニングクラブにも挨拶に来てくれました。

 

作.AC札幌とも一緒に。

 

北海学園大学陸上部と。

 

2017年ニューイヤー駅伝。

 

滑和也は、補欠に回りました。

 

2017年3月、つどーむで北海学園大学長距離ブロックメンバーと、滑和也選手。

 

2017年8月、札幌モエレ沼公園で北海学園大学長距離ブロックメンバーと、滑和也選手。

 

2018年ニューイヤー駅伝も一緒に応援しました。

 

3月8日(木)北海学園大学陸上部長距離ブロックメンバーと。

この4月から滑和也さんは、SUBARU陸上部コーチとなるそうです。
7年という長きにわたり選手として得たキャリアを生かし、決して良いことばかりではない選手の痛み、辛さ、悔しさ。
滑さんなら、誰よりわかるでしょう。

また5年先、10年先は市民ランナーとして、走り続けてもらいたいです。

 

そう願っています。

作.AC北海道の最新記事8件

>LIFE with RUNNING 「作.AC」

LIFE with RUNNING 「作.AC」

 この先もずっと、「走り」を楽しみ、「競技」に熱くなり、多くの「仲間」と共に走り続けられる。そしてランニングを通してこそ経験できるランニングスタイル"LIFE with RUNNING"を大切にするチームとして作.ACは活動を続けていきます。

CTR IMG