マニアックな趣味

いつも作.AC北海道ブログをご覧の皆様、ご無沙汰しております。

いつのまにか4月も下旬となり、残すところあとわずかとなりましたね。

このような事態にならなければ、今日までの恵まれた環境に感謝することはなかったかもしれません。

この数ヶ月で生活が一変し、それまでの日常がいかに素晴らしかったかを痛切に感じるところです。

今の気持ちを忘れず、来たるべく時に備えたいですね。

さて前回は澤井玄君との朝練についてお話しをしましたが、今回は今年新たに作.AC北海道に加入した田中亮太君についてお話しします。

懐かしい写真とともに、ご覧くださいませ。

 

亮太と言えばアシックスのA77

 

よほどこのアシックスA77が好きなんでしょうね

今年度、作.AC北海道に4名の新メンバーが加入致しました。

いづれも北海学園大学陸上部で長距離ブロックに2020年3月まで在籍していた若者たちです。

 

4年間、ずっと一緒に走り続けてきました

年齢の差はあれど、全員が強い絆で繋がっています。

しかし私と彼らにおいては、生きた時代があまりにかけ離れているせいか、その空白を埋める話題に乏しいのです。

さらに彼らの世代の特徴として、個性を強調するようなことはせず、あくまでプライベートを重要視しているようで、

彼らに趣味、好きな音楽、好きな食べ物などを聞いたところで、

返ってくる言葉は、

「なんでも」

「色々」

「よくわかりません」

それで話しは終わってしまいます。

相手に自分を知られたくない、というところではよいかもしれません。

あくまで、最愛の人にだけ知ってもらえればいいということなのでしょう。

ですが、受け取る側にとっては、

「何を考えているのかわからない」

となってしまいます。

まあ、そのつかみどころのなさが魅力だったりするのですが。

 

個性はあるのですが

今回ご紹介する田中亮太君も、4年前に出会った頃は無機質なイメージでした。

喜怒哀楽を表に出すことはなく、声をかけても、

「はい」「いいえ」

それで終わり。

レースで勝っても負けても、悔しいのか悔しくないのかわかりませんでした。

 

2016年5月、入学したばかりの頃

 

2016年8月、SUBARU陸上部コーチの滑和也さんと

 

2016年8月、モエレ沼公園で

 

2016年8月、たしか作.AC真駒内マラソンの動画を作成したときです

 

2016年11月、菊地マネージャー、マツヒロ、尚子さんと

 

2017年1月、初詣ランで伏見稲荷神社

 

2017年2月、定山渓30km

 

2017年3月、ここまでの亮太はほぼアシックスのA77シリーズです

 

2017年3月、洞爺湖1周を走るためオロフレ峠経由で

この頃の亮太の印象と言っても思い出せないくらい、特徴がなかったです。

二人きりになったら、何を話そうか照れてしまうほどでした。

 

2017年4月、拓真が入学

 

2017年5月、いつも無表情な亮太

 

2017年6月、作.AC真駒内マラソンのポスター撮影で

 

2017年7月、モエレ沼公園で

 

2017年10月、阿部雅司さんと厚別陸上競技場で

 

2017年11月、決して機嫌が悪いわけではないのですが

 

2017年12月、真駒内セキスイハイムアリーナ

どの亮太を見ても同じ表情。

例えば澤井玄だと、楽しい時とそうでないときがわかりやすいのですが、亮太はさっぱりわかりません。

嬉しいんだか、悲しいんだか。

 

2018年1月、マルヤマクラス前で

 

2018年2月、玄たちが就職活動に入った頃ですね

 

2018年3月、苫小牧緑が丘陸上競技場にて

 

2018年4月、入学して3年目に入った頃

3年生の時です。

当時の亮太はレースやペース走などで後半失速することがよくあり、私はいつもそこを指摘していました。

「常に1000M、2000M先をイメージした走りをしないと」

「あと、おまえは日頃から我慢が足りない」

だから後半失速するんだと。

このとき、彼の目から涙が溢れました。

最初は汗かなと思ったのですが。

 

気持ちが入ってきましたね

彼が本気になったのは、この頃からです。

それからの亮太は誰より練習をしました。

そして、引っ込み思案な性格から徐々に何でも話すようになりました。

貧血体質でずっと走れなかった亮太が記録も急激に伸び、たちまちチームの主軸となったのです。

 

2018年7月、少し笑うようになりました

 

2018年9月、伊達大滝で

 

2018年9月の稚内で、集合写真でも笑うようになりました

 

貧血で後半失速ばかりしていましたが

 

駅伝ではエース区間を走りました

そんな彼ですが、あれは確か湧別町での合宿時でしょうか。

湧別町の皆様が開いてくださった歓迎会において、一人ずつ歌を歌うことになったのです。

亮太が何を歌うか、興味がありました。

全く予想がつかなかったからです。

そして亮太の番になりました。

イントロが聞こえだし、

「え、これ、まさか長渕剛?」

そう、亮太が歌った曲は長渕剛さんの、

「俺らの家まで」

でした。

昔を想い、私の目から自然と涙が溢れました。

何より、亮太の健気に歌う姿が妙にマッチしていて胸が熱くなったのです。

その後、私が長渕剛を聴くようになったのは言うまでもありません。

 

2018年の湧別町合宿で

 

2019年2月、仲のいい樹と一緒にロング走

 

2019年5月、いつも大聖と競っています

そんな亮太も大学を卒業し、4月から社会人として働いています。

走ることを続けてくれて、作.AC北海道に入ってくれて、本当に嬉しかったです。

 

すっかり走ることが日常になりましたね

そんな亮太の好きな歌手は、本田美奈子さん。

これにはとても驚き、そしてとても嬉しくなりました。

 

亮太の本田美奈子コレクション

なぜ驚き、嬉しくなったかというとそれは、亮太が自分を主張するようになったからです。

と同時に、本田美奈子さんという心のある歌手を選んだことが嬉しかったのです。

本田美奈子さんと言えば、

「1986年のマリリン」「One Way Generation」

などのヒット曲で知られ、その後はミュージカル女優としてご活躍された記憶が強く残っています。

晩年はクラシック音楽と日本語の歌詞を融合させた新しい分野にチャレンジし、その歌唱力は高く評価されました。

後期の代表曲は、「つばさ」「アメイジング・グレイス」など、本田美奈子さんの歌は今なお根強い人気を誇っています。

私も当時、本田美奈子さんの「つばさ」を聴き、深く感動しました。

しかし亮太は、本田美奈子さんがご活躍されていた時代はもちろん、その後の彼女の壮絶な人生すら知らない世代です。

それを思うと私は、どうして亮太が本田美奈子さんの歌を好きになったのか気になって、気になって、たまらなくなりました。

そこで亮太に、なぜ、本田美奈子さんを好きになったのかと尋ねました。

すると亮太は淡々と、

「たまたま昔の歌番組の映像を見ていて、この人!と目にとまったのが本田美奈子さんだった」

と、返ってきました。

「亮太、本田美奈子の何が好きなの?」

の問いに、

「歌のうまさです」

美人だとか、かわいいからとか言うのかと思ったので、なんだか少々拍子抜けしました。

しかし、この後のことです。

「じゃあ、本田美奈子のお気に入りの曲は?」

と聞いてみました。

「シャングリラという曲です!!」

え、シャングリラ!?

 

あまり耳馴染みのない本田美奈子さんのシャングリラ

調べてみると、この曲は本田美奈子さんが歌手としての人気が低迷していた時にリリースされたものでした。

オリコン最高62位、売り上げも1.1万枚という、人気絶頂時の本田美奈子さんを知る年代にとっては、まさかの数字です。

その後、ミュージカル女優として不動の地位を築かれた本田美奈子さんにとっても、苦しい時期だったのではないでしょうか。

私だったら、ヒットしなかった曲を選ぶことで、

「変わり者と思われないか」

不安になるところですが、亮太には、そんなヒットしたしないは関係ありません。

亮太の純粋な感性で、「シャングリラ」が好きになったのです。

「さすが亮太!」

それに感動した私は早速、そのことを朝練で玄に話しました。

 

唯一の話し相手、澤井玄

すると玄は、

「どの歌い方が上手くて、どの歌い方が下手なのかがわからない」

と、冷静に返ってきました。

「みんな同じに聞こえる」

と言うのです。

そう言えば、あるとき私が、

「昔の俳優は演技力があったから、ドラマ観ていても本当に感動したよ」

「今はすっかりドラマを観なくなってさ」

と玄に話しかけると、そのときも、

「どの演技が上手くて、どの演技が下手なのかわからない」

と返ってきて、何とも言えなくなりました。

ただ、

「心の痛みを知ったらきっとわかるようになるから」

とだけ、伝えました。

でも彼には、心の痛みは知らずにいて欲しいという親心も少しあります。

知らないまま生きていけたなら、これほど幸せなことはないですからね。

あの屈託のない笑顔が、急に人生を知った笑顔になっても戸惑うだけですから。

 

玄はこのまま、変わらずに

そしてこの、「シャングリラ」。

亮太の影響を受け、最近では大聖も毎日聴いているそうです。

本田美奈子さんの人気絶頂期にリリースしていたら、もしかしたら大ヒットしていたかもしれませんね。

もちろん私も、毎日聴いています。

 

これからも宜しくね、亮太

4年前から今までの亮太の写真を振り返り、一貫してアシックスのA77を着ていたことに驚きました。

全く気がつかなかったです。

実は彼はとてもこだわりが強く、趣向もかなりディープだったのですね。

作.AC北海道の最新記事8件

>LIFE with RUNNING 「作.AC」

LIFE with RUNNING 「作.AC」

 この先もずっと、「走り」を楽しみ、「競技」に熱くなり、多くの「仲間」と共に走り続けられる。そしてランニングを通してこそ経験できるランニングスタイル"LIFE with RUNNING"を大切にするチームとして作.ACは活動を続けていきます。

CTR IMG