2021年4月8日(木)
八戸港にて
先月、青森県三沢市へ行ってまいりました。
いつも人任せで、自ら計画を立て旅行することなどなかったため、決心をするまで時間を費やしました。
ただ、訪れるなら、少し寂しく肌寒い時期の3月が良いと考えていたので、タイミングとしては良かったと思っています。
到底、一人で行くなど私には出来ません。
引っ込み思案で、見知らぬ人に自ら話しかける勇気もなく、内にこもってしまい、何も出来ない自分が目に見えているからです。
しかし、安心できる環境があると、一気に道が開いたように豪放になるのです。
私の勝手を聞いてくれた、澤井玄君には心から感謝しています。
午前7時30分、八戸港フェリーターミナルに到着しました!
八戸港に到着し、市街地行きのバスの出発まで少し待たなければなりません。
どうしても朝市でご飯を食べたかった私は、
「時間がない」
と、先急いでいました。
結局、JR陸奥湊駅前朝市会場までの約5kmを走って向かうことにしました。
八戸港フェリーターミナルからJR陸奥湊駅まで約5kmあります!
八太郎大橋からみる海はとても爽やかです
八戸大橋、けっこうな上り坂です
ここから見る景色が最高です!!
そして、この八戸大橋を越えると陸奥湊駅前朝市会場です。
JR八戸線陸奥湊駅に到着しました!
駅前にある、イサバのカッチャ像前で
イサバのカッチャとは「市場のお母さん」という意味だそうです。
JR陸奥湊駅前朝市では、漁港で獲れた新鮮な魚介類が並べられています。
そしてそのお魚を刺身にし、その場で食べることが出来ます。
市場のお母さんともすぐに仲良くなる、澤井玄さん
心の内から滲み出るような笑顔が、人を惹き付けるのでしょうね。
どんなときも笑顔でいる大切さを改めて知りました。
地元のお母さんに「ここ座りなさい!」と、案内してもらいました!!
ご飯大盛りに、帆立味噌汁、何より刺身がとても美味しかったです!!
市場の皆様、ありがとうございました!
こんなに楽しくて嬉しい朝食は経験したことがありませんでした。
市場の雰囲気もとても良く、また船に乗って訪れたいくらいです。
その後、レンタカーを借りるため、JR陸奥湊駅からJR本八戸駅周辺まで走りました。
そして車を運転し、三沢市へと向かいました。
三沢空港に到着です!
三沢市へ来たのは他でもない、杏真理子さんの生まれ故郷だからです。
なので、どうしても訪れたかった。
そして、三沢市サイクリングロードを走りながら、杏真理子を想いたかったのです。
暗く、悲しい、この上ないほど落ち込むような歌ばかりですが、私には響きました。
三沢空港に到着後、車を駐車場に停めました。
コースは、三沢空港から三沢市サイクリングロードを経由して小川原(おがわら)湖までの往復23kmです。
早速、走ります!!
三沢空港を出発しました
誰も居ない道をひたすら走ります
五川目堤(いつかわめつつみ)をバックに走ります
そして、到着しました小川原湖。
おーい!杏真理子~~!!
返事はありません
十和田湖より広いそうです
雪解け後のせいか、まだ整備されていないようでした
三沢市民の森公園内にある、小田内沼
この橋、けっこうスリルがあります
三沢市サイクリングロード
この景色、落ち着きますね。
何もないところが、新鮮です。
復路も五川目堤(いつかわめつつみ)を走ります!
橋から眺める、五川目堤
JR三沢駅、とても衛生的できれいな駅です
JR三沢駅から眺める景色
三沢漁港
夜は疲労回復11kmジョグをしました。
そして練習後、夕食はスーパーのお弁当にしました。
本八戸市街地を走りました!
夕食後は、翌日のために早寝することにしました。
翌朝は朝練を兼ね、館鼻岸壁朝市まで走りました!
宿泊先から館鼻岸壁朝市会場まで約4km
トンネルを越えると、朝市会場です!
朝から多くの人で賑わっていました!
いわしの天ぷらそば
館鼻岸壁朝市会場を後にし、再び走りました!
八戸港の橋を渡り、ポートアイランド内を走ります
八戸工業港が遠くに見えます
八戸工業港にほど近い湊橋より、新井田川
強風と雨に見舞われたため、ビニール袋をまとって走りました。
八太郎大橋を経由し
八戸港フェリーターミナルに到着しました
約7時間30分の船旅でしたが、船酔いを回避すべく、ほとんどの時間を寝てしまいました。
今思えば、もっと時間を有効的に使っていたらと後悔しています。
無事、苫小牧港フェリーターミナルに到着しました!
そこから札幌に戻りました。
楽しい旅でしたよ
とは、杏真理子の2枚目のシングルタイトルです。
訪れた理由。
それは、杏真理子の生まれ故郷を良いものにしたかったからです。
「彼女の辛かった思い出を払拭したい」
というのが一番の願いです。
私は今まで、本当に良い出会いに恵まれてきました。
ですが反面、人の痛みや悲しさを知ることが出来なかったのです。
杏真理子の歌の力で、痛みを知りました。
歌が彼女自身だったのではないでしょうか。
いつのまにか、自分自身の幸せより、杏真理子の幸せを思うようになったのです。