りばいばるを聴いて

皆様、お久しぶりです!

お元気でしょうか。

まだまだ長い道のりだと思いますが、少しだけ明るい兆しが見えてきたようで嬉しく思います。

ここでつかんだ流れをそのままに、気を緩めず過ごしたいですね。

 

この写真は5月上旬のものです

もうここ何年も、仕事以外で電話を掛けたり、手紙を書く機会がありませんでした。

なので電話が鳴ると、

「何か事件があったのでは」

と思うようになり、手紙が送られて来ると、

「何か重い内容でも書かれているのではないか」

と緊張して封を開けるようになりました。

これではいけないと思い、今回の件を機に、お世話になっている皆様へ手紙を書くことにしたのですが、

いざ書こうとすると全く前に進まないのです。

しばらく字を書く習慣から遠ざかっていたせいか、行や間隔にバランスが取れません。

漢字も辞書で確認しないと自信がないありさまです。

便利なメールに慣れてしまったからでしょうか。

漢字も自動的に変換されますし、次の言葉も候補として挙がってきますしね。

間違えても簡単に消去でき、ゆっくり考える時間もあり、たとえ心と裏腹でも取り繕うことが出来ますから。

つくづくメールは過保護であったということに気づかされました。

 

拓真がよく練習で走るという茨戸川河川敷より

手紙ですと、字の丁寧さや表現の仕方一つで、相手からの想いの強さを感じ取ることができます。

また電話は話しながら、その口調や言い回しで余裕があるのか、焦っているのか、漠然とですがイメージすることが出来ます。

時代に逆行するのかもしれません。

ですが、会えない時の手段として電話や手紙は、心は育まれるかもしれませんね。

 

オホーツク網走マラソンのBUFFで走る澤井玄君

 

菊地マネージャーが作ってくれたマスクで

さて最近は、過去に購入したDVDなどを鑑賞しています。

笑いから得るものは多く、皆様にお会いした時にはぜひ、楽しかったDVDのお話しでもしたいと思っています。

 

片桐はいりさんの、「片桐はいり4倍速」。付録もあって嬉しかったです

早速、澤井玄君に片桐はいりさんのDVDのことを話すと、

「まったく興味ない」

あっけなくかわされ、とっても惨めな気持ちになりました(笑)

 

朝練だけは続けています

また、最近嬉しかったことと言えば、大聖が初めての給料で私にプレゼントを贈ってくれたことでしょうか。

若い頃はお世話になった人のことなどすぐに忘れ、プライベートのために使いたいものです。

私がそうでしたから。

私が大聖と同年代なら、全く気にも止めなかったと思います。

プレゼントを決めるまでの過程を思うと、大聖がとても愛おしくなります。

 

特注で作ったと思われる、杏真理子の雪わり草ワイヤレス充電器

あとは、今まで趣味で集めてきたオリコン年鑑の整理をしました。

購入して、ただ満足しただけで本棚にしまったままでしたが、ようやく鑑賞することができます。

嬉しいですね。

 

見ているだけで楽しいです

私は子供の頃からヒットチャートを閲覧するのが好きで、特にオリコンチャートに関しては、つい何年か前まで毎日のようにチェックしていました。

オリコン年鑑はオークションなどで、少しずつ収集しました。

オリコンに興味を持ったのは、単にチャートアクションが好きなこともあるのですが、やはり好きなアーティストの最高ランクや売り上げ枚数が気になり始めたからです。

きっかけは、中島みゆきさんの1979年9月にリリースされたシングル、

「りばいばる」

という曲のチャートに興味を持ったことに始まります。

この曲は、最高位11位止まりだったにもかかわらず、100位以内に24週間チャートインし、34.4万枚売り上げました。

ベストテン入りしなかった割には大ヒットしたと言えるでしょう。

しかも1979年後半から、1980年前半にかけてヒットしたため、売り上げは2年に分散されてしまい、目に見える年間チャートは振るっていないように見えるところも、この曲の最高位11位を物語っています。

あまり期待されずに市場に出て、有線を中心にじわじわと浸透し最終的に大ヒットする。

当時、ロングヒットと言えば演歌でした。

なので演歌以外で長くチャートインする曲は希で、中島みゆきさんの歌は息が長いというイメージを印象づけました。

もちろん、「りばいばる」という中島みゆきさんの深い歌詞に惹かれたのも大きな要因です。

私は、小学生の頃から中島みゆきさんの歌が好きでした。

 

ファンですから、ダウンロードではなくCDを購入します

なかでも1975年9月にリリースされた、中島みゆきさんのデビュー曲、

「アザミ嬢のララバイ」

は本当に衝撃的でした。

イントロから寒々としていて、とっても怖かったです。

幼い頃、夕方に放映された約5分ほどのテレビ番組、

「道政スポット」

のオープニングで流れる、

「スカボローフェア」

の怖さに似ていました。

怖いと言うより、遠い昔にどこかで聴いたことがあるような、何とも言えない不思議な想いです。

1977年9月に発売された、

「わかれうた」

は子供ながら、レコードを買いました。

この曲はオリコンチャート1位を獲得し、大ヒットしました。

 

お年玉で購入したと思います

そして、それと同時期に桜田淳子さんの、

「しあわせ芝居」

も大ヒットしました。

(オリコン最高3位、36.5万枚)

この「しあわせ芝居」も、中島みゆきさん作詞作曲です。

当時私は小学生でしたが、この詩のことをよく覚えています。

 

追いかけてヨコハマ、化粧も中島みゆきさんの作詞作曲です

続く1978年3月、研ナオコさんの「かもめはかもめ」も中島みゆきさんの作詞作曲です。

(オリコン最高7位、33.0万枚)

まだ小学生でしたが、レコードを買いました。

かもめが好きになったのは、「かもめはかもめ」を聴くようになってからです。

 

今でも時々聴きます

大学に入り、中島みゆきさんの「見返り美人」や、「やまねこ」をよく聴きました。

この頃リリースされた「36.5℃」というアルバムは、それまでのみゆきさんにない斬新で、攻撃的な内容でした。

 

「見返り美人」はカッコ良かったです

私が初めてみゆきさんのコンサートに行く機会に恵まれたのは、大学3年生の時でした。

確か、1989年の「野ウサギのように」ツアーだったと思います。

その後は毎年、みゆきさんのコンサートに足を運びました。

中でも、一番印象に残っているのは、2010年12月のコンサートです。

「真夜中の動物園」

という、みゆきさんのアルバムが発売された直後だったと思います。

なぜ記憶に残っているかというと、あまり歌うことのなかった、

「たかが愛」

を、アンコールで歌ってくださったからです。

1996年10月発売のアルバム、「パラダイス・キャフェ」に収録され、後にシングルカットされた曲です。

おそらく、みゆきさんの曲の中でも、この曲のファンは多いかと思います。

若い頃は未練がテーマの「たかが愛」でしたが、今の「たかが愛」は、捨ててしまえないものでしょうかね。

愛というと、重く、苦しいものと逃げ出したくなるのですが、

今は裏切れないものと受け止めています。

 

この曲は、澤井玄君もよく歌っています

2000年7月19日に発売された「地上の星」は、初登場15位でした。

この曲は発売当時、ドキュメント番組の主題歌とは知らず、一ファンとして発売日に購入しました。

オリコンチャートアクションは、

15位→24位→24位→36位→36位→41位

ときて、7週目で37位に巻き返しました。

「何故、巻き返したんだろう」

と、気になっていたときに、この曲がドキュメント番組の主題歌だということを知ったのです。

そして発売から2年6ヶ月後の2003年1月20日付けのオリコンチャート。

「地上の星」が、登場130週目にして初の第1位に輝いたのです。

最終的に地上の星は111.6万枚を売り上げ、100位以内の登場週数は連続174週。

この連続記録はいまだ破られていません。

 

なぜヘッドライト・テールライトというタイトルにしたのか、それを思うと涙が出ます

今現在、中島みゆきさんの一番新しいシングル曲は、「離郷の歌」。

若い頃の私なら、この歌を好きになれなかったかもしれません。

多分、人生経験不足だからでしょう。

なので、若い大聖が、

「みゆきさんの離郷の歌、気に入っています」

と言えることに、驚いています。

 

これからどんどん好きになると思われる「離郷の歌」

3月27日(金)の中島みゆきさんのラストツアー、「結果オーライ」。

大聖と一緒に行く予定でしたが、中止となってしまい本当に残念でした。

でも、中島みゆきさんに終わりはありませんね!

息の長い中島みゆきさんの歌に魅了され、もう45年。

今回は、

「りばいばる」

をきっかけにここまで話してしまいましたが、過去を振り返るのもたまには良いですね。

懐かしい気持ちになり、子供の頃の流行歌を聴いてみたくなると思いますよ。