SUBARU陸上部の滑和也選手

2018年3月29日(木)

 

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ケガの多い7年間でしたが、本人はすごく幸せだったと思います。

 

SUBARU陸上部の奥谷監督と、東京マラソン後に。

 

2018年3月、北海学園大学陸上部長距離メンバーに囲まれて。

2011年4月にSUBARU陸上部に加入し丸7年。
あっという間の7年でしたね、滑和也選手。
7年も経ったというのに、あの頃と全く変わらない。
市民ランナーだった彼が、まさか、実業団選手になるとはね。
速くて、強くて、若くて、それに見合ったキャリアを積むと、ましてや実業団選手ともなると、
上だけを見てしまって、今までの恩や、それまでの仲間のことを忘れることが多いものです。
それをまあ、札幌に帰省するたびに連絡をくれて。
彼が愛され続けるのは、そういうところです。
もちろん、選手としても頑張りました。
結果が全ての実業団で、選手として7年務めるのは容易ではありません。
滑ちゃんの大会結果、いつもSUBARUホームページでチェックするのが楽しみでした。
結果が良いと喜び、そうでないと、落ち込み・・・
辛いんだろうなあとか、何を考えているんだろうなあとか・・・
これで踏ん切りがついたでしょう。
これからの人生、全て人とのつながりです。
まだまだ走り続けるとは思いますが、実業団選手としては一区切りですね。
今の気持ちを忘れなければ、大丈夫です。

 

2014年1月1日、3年目でようやくニューイヤー駅伝に初出場(区間4位)

 

颯爽としていました。

 

2015年1月1日(ニューイヤー駅伝/区間10位)

 

2015年7月のホクレンディスタンス深川大会。

 

2016年2月延岡西日本マラソン(9位/2時間20分51秒)

 

2016年4月チェレンジミートinくまがや。

 

2017年のびわ湖毎日マラソン、2時間15分45秒。

 

2017年仙台国際ハーフマラソン(1時間04分52秒/22位)

SUBARU陸上部の選手としては最後のレースとなった、東京マラソン。
ケガを押してのレースだったそうで、万全の体調で挑めなかったのが悔やまれますが、
どんな形であれ、SUBARU陸上部の選手として走るのは最後となるわけですから、走らないわけにはいきません。
この日のための練習もつめず、きっと最後という実感はなかったでしょうね。
ですが、そもそも市民ランナーからスタートし、実業団選手にまで上り詰めたこと自体、奇跡なのですから。
たぶん、本人もそう思っていると思います。
よく頑張ったね、滑ちゃん。

 

写真提供は、SUBARU陸上部ホームページより。

 

序盤はまずまず。

 

雷門付近、集中した表情ですね!

 

折り返し地点で、かっこいいですね!

北海学園大学時代から、卒業後も走ることを最優先に考え、就職先を模索していました。
北海学園大学陸上部は指導者もおらず、ほぼ野放し状態でしたから。
彼らのルールは、彼らに都合のいいルール。
彼らの常識は、大人にとっては非常識だったのかもしれません。
そんな環境の中、滑和也は、

「自分は出し切った感はない、これで終わりたくない」

そう思ったのでしょう。
地元の市民ランナーとして、誰より真剣に走ることに取り組む姿勢でした。
そして卒業後は、作.AC北海道を選んでくれました。
いつも30代、40代の中に若者が一人、でしたね。
社会人になってからも、どんなに忙しくてもランニング教室、チーム練習会には顔を出してくれました。
作.AC北海道を盛り上げてくれて・・・感謝しきれません。
滑和也選手に転機が訪れたのは2010年のホクレンディスタンスチャレンジin札幌でした。
多くの実業団関係者が見守る中、1500Mで優勝。

 

1500M(3分48秒88/優勝)

 

スタートから鋭さがありました。

 

最後のスパートはかっこよかったです。

 

優勝インタビュー。

これがきっかけとなり、実業団チームから注目されるようになりました。
そして2011年4月、群馬県太田市にあるSUBARU陸上部に入部が決まりました。
作.AC北海道で2年、そしてSUBARU陸上部で7年、合わせて9年。

私自身、大学にこだわって進学したわけではなかったこともあり、北海学園大学に対し深い思い入れはありませんでした。
なので後輩の行動には、見て見ぬふりでした。
面倒なことには巻き込まれたくないという、典型的なパターンです。

 

北海学園大学陸上部長距離ブロック。

今は逆に、学生たちから教わることばかり。
自分にも指導者が欲しかった、なんて今更ながら思います。
誰からも注意されないのはむしろ自分で、正義を貫いて来たつもりが、
それはただ単に、自分の気持ちを押し付けただけに過ぎなかったのですから。
結局は正しいも、正しくないもないのですよね。
いつも、自分自身がしてもらいたかったことを、相手に心がけていますが、
きっと大学時代、滑和也選手もそうしてもらいかったのでしょうね。

 

2016年の札幌スポーツ館ランニングクラブにも挨拶に来てくれました。

 

作.AC札幌とも一緒に。

 

北海学園大学陸上部と。

 

2017年ニューイヤー駅伝。

 

滑和也は、補欠に回りました。

 

2017年3月、つどーむで北海学園大学長距離ブロックメンバーと、滑和也選手。

 

2017年8月、札幌モエレ沼公園で北海学園大学長距離ブロックメンバーと、滑和也選手。

 

2018年ニューイヤー駅伝も一緒に応援しました。

 

3月8日(木)北海学園大学陸上部長距離ブロックメンバーと。

この4月から滑和也さんは、SUBARU陸上部コーチとなるそうです。
7年という長きにわたり選手として得たキャリアを生かし、決して良いことばかりではない選手の痛み、辛さ、悔しさ。
滑さんなら、誰よりわかるでしょう。

また5年先、10年先は市民ランナーとして、走り続けてもらいたいです。

 

そう願っています。