がんと闘い陸上競技

2015年3月29日(日)

 

北海道新聞空知版より

私の中学時代の陸上部の指導者でもあった島田文雄先生が、
3月26日(木)お亡くなりになりました。

島田文雄先生は、数多くの選手、そして指導者を育成されました。

栗山中学校陸上部時代の同期で、現在は帯広農業高校の顧問を務める西山修一さんはじめ、
札幌静修高校女子駅伝部監督の吉田茂さん、札幌創成高校陸上部監督で数多くの実績を誇る樋山良司先輩など、
現在も道内各地でご活躍されています。

 

2010年8月、樋山良司先輩、島田文雄先生、梅津和行先輩、西山修一さんと

 

毎日発行された陸上クラブ報

私たちにとって、島田先生の指導を受けたことが誇りであり、自慢なのです。

 

【弔辞】

島田文雄先生
まさか私が、この場所に立てるなんて。
悲しみ以上に、この上ない喜びでいっぱいです。
先生は人生を全うしたし、悔いはないでしょう。
こんなに大勢の皆様が先生の葬儀にご参列くださって、本当に嬉しい。
そして、最期まで走ることを続けさせてくれた、ゆう子さんに感謝ですよ。
たくさんの教え子に囲まれ、先生は本当に幸せものですね。

 

栗山陸上競技場

先生と出会ったのは私が12歳の時です。
私の家は貧しく、正直、栗山町でのそれまでの12年間はあまりいい思い出はありませんでした。
その頃の自分は12歳にもかかわらず、陰湿で、表情も暗く、心も荒んでいました。
ですが、中学に入り、陸上部に入って、そんな性格が一変しました。
島田先生の強さに圧倒されたのです。
内にこもっていたものが一気に爆発し、毎日毎日走るために起きて寝るという生活に変わりました。

陸上競技場でウォーミングアップをしているとき、遠くから島田先生のバイクの音が聞こえ出すと、その場が一気に凍りつきます。
そして、
「ガラガラガラ~ッ!」
と物置のシャッターを開ける音が聞こえたら、
「ああ、今日もタイムを取るんだ」
と、一気に緊張感に包まれるのです。

私が中学2年の頃、800mリレーでバトンを落とし、ハードルで転び、
みんなに迷惑をかけた時、先生に、
「お前、本当に疫病神だな」
と言われたのを覚えています。
当時の自分は気が小さく、すぐ緊張して、大会2週間前から吐き気がするくらいでした。
でも、さんざん、怒鳴られた後に、
「お前は、短距離でもハードルでもない、本当は長距離なんだ」
と話してくださったのです。
すごく嬉しかったですね。

 

中学3年の全空知中学800Mリレーで優勝

 

全道中学800Mリレーで入賞

 

中学時代は短距離でした

高校、大学でも短距離、ハードルを続けましたが、結果は伸び悩みました。
気が抜け、力も入らず、何より、燃える気持ちが起こりませんでした。
そんな時、先生の、
「お前は短距離じゃない、長距離なんだ」
という言葉を思い出したのです。
あのとき、先生の言う通りにしていなかったら今はないでしょう。

いまだかつて、こんなに走ることが好きな人に出会ったことはありません。
いつだったか先生が、
「昔さ、真夜中に走っていたら警察に不審尋問されてさ」
と、私に話してくださったことがありましたね。

 

2008年頃、島田先生、吉田茂さんと

 

2009年7月頃

 

2010年、栗山陸上競技場にて

 

片山純さんと一緒に札幌から栗山へ

 

JR栗山駅で

 

2013年4月頃

晩年は、あれだけ鋭かった先生が、少しずつ衰えているのがわかりました。
そして、無理をしているのがわかりました。
私は、先生が光り輝いている時代からずっと見ていました。
なので、その節目毎に、
「老い」
について考えはじめました。
皆様には、先生の定年後の寛ぎの人生をみんなに見て、知って欲しかったです。
鳥でいうと国の天然記念物にも指定されている大鷲のような存在だった先生が、
私の方を見て、ニコッとして、小学生の可愛い女の子と一緒に楽しく走っていたのです。

 

小学生の指導をする島田先生

「死んでしまったら、今まで築き上げてきたことが帳消しになる」
そう思って悲しくなりましたが。
人間には順番があるから、私もいつかは先生と同じになるのでしょう。
成長するとき、輝くとき、悟るとき、退くとき、寛ぐとき。
一緒の時間を過ごせて幸せでした。

 

2013年7月27日 北海道新聞より

どんなことがあっても諦めなかったのは、先生を信じていたからです。
先生と出会わなければ、ここまで走ることに執着していませんでした。
先生はこれからも、私を助けてくれるでしょう。
言葉が自然と出てきたり、新しい考えが生まれたり、嬉しいことが続いた時など。
その時は、先生の見えない力が働いているのだと思うようにします。

 

2015年3月15日に栗山中学陸上部先輩の佐藤加代子さんと

 

正面にJR栗山駅

 

最期の花

 

2015年3月25日

 

通夜の前に

 

栗山町までの道程を走りました

 

儚さが残ります

これでもう、会話を交わすことはできなくなりました。
ですが、先生のことは忘れません。
島田先生、本当にありがとうございました。
たまに、思い出しますね。

 

2015年3月29日
作田徹