2023年2月18日(土)
夕張の誇り、ザ・リリーズさん。
2023年1月24日(火)、「好きよキャプテン」などのヒット曲で知られる双子のデュオ、ザ・リリーズの燕真由美さんが脳腫瘍のため、お亡くなりになりました。
62歳でした。
謹んでお悔やみ申し上げます。
ザ・リリーズさんは、夕張市清水沢のご出身でした。
私は同じ管内の栗山町に住んでおりましたが、それはもうザ・リリーズさんは有名でした。
テレビでもラジオでも、その歌声は毎日のように流れ、たちまち日本中の人気者となったのです。
そんなリリーズさんを、子供ながらに誇らしく思いました。
1975年にリリースされたデビュー2作目の、「好きよキャプテン」は大ヒット。
今でもあの、かわいらしい振り付けを覚えています。
まだ14歳でしたね。
夕張には親戚も多く、中でも私の従兄弟はリリーズさんと同級生でした。
いつも、
「リリーズと同じクラスだったんだよ!」
と、嬉しそうに話していて。
デビュー5作目、
「風邪を引いたら大変♪」
の出だしで始まる、
「恋に木枯し」
のシングルレコードを、お小遣いで買った記憶があります。
ザ・リリーズ、恋に木枯し。
そんな私も、気付けば小学6年生。
アイドルの歌から少しずつ離れていきました。
またリリーズさんも、デビュー4年目あたりから徐々に大人の歌を歌い始めました。
それまでの清楚で爽やかなイメージから脱却しようと、ディスコ歌謡やシティポップなど様々な分野に挑戦していたようです。
しかし、どれも世間が求めるリリーズさんの姿ではなかったのでしょう。
人気に翳りが見え始めました。
リリーズさんにとっては、辛い時期だったでしょうね。
1978年12月20日に発売予定だった11枚目のシングル、
「キス・ミー/Bonjour涙」は、直前になって発売中止。
特に「Bonjour涙」はファンキーで完成度が高かっただけに、なおさら惜しかったです。
印象に残っているのは1980年にリリースされた14枚目のシングル、「ちょっと香港タウン」。
異国情緒溢れる衣装を身にまとい、それまでのリリーズとは大きくかけ離れたものでした。
東芝EMIレコ-ドからデビューして7年目の1981年。
「シェルの涙」という曲をリリースしました。
デビューから数えて15枚目のシングルになります。
この曲はサビの部分のフルートの旋律とリリーズのハーモニーが絶妙にマッチしています。
後半は徐々にテンポが速まり、ダンサブルでクールな仕上がりでした。
編曲は、もんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」や、松山千春さんの「旅立ち」などのヒット曲で知られる、松井忠重さん。
しかしながらヒットには至らず実質、この「シェルの涙」がザ・リリーズのラストシングルとなってしまいました。
この曲以降、ザ・リリーズ名義でシングルレコードは発売されていません。
ザ・リリーズの「シェルの涙」今聴いてもいいですよ。
ただ、ザ・リリーズさんの楽曲は40年以上の月日を経ても色褪せず、往年の根強いファンの皆様にも支えられていたせいか、
1975年から1981年までに東芝EMIからリリースされたオリジナルアルバム5枚、シングル15枚(発売中止のキス・ミー/Bonjour涙を含む)の音源は全てCD化されています。
私の年代は夕張と言えば、ザ・リリーズです。
ザ・リリーズの歴史はこれで終わりかと思っていました。
が、実は続きがあったのです。
「シェルの涙」から4年後の1985年。
ビクター音楽産業からひっそりと新曲がリリースされていました。
タイトルは、
「ギャラクティカ・スリリング」
NHK「地球防衛軍テラホークス」のオープニングテーマ曲でした。
4年のブランク。
世の中からザ・リリーズの幼いイメージを消し去らないと、大人の歌を歌えない。
彼女たちはそう考えたのでしょうか。
それには、4年もの歳月が必要だったと。
レコード会社も7年在籍した東芝EMIを離れ、ビクター音楽産業へ移籍。
そうまでして歌い続けたかった彼女たちの執念を感じる一曲です。
しかもこの曲に関しては、ザ・リリーズ名義ではありません。
本名の燕奈緒美・燕真由美として、です。
作詞:康珍化
作曲、編曲:新田一郎
トランペット奏者として有名な新田一郎さんが作曲、編曲を担当。
1979年にブラス・ロックバンド、スペクトラムを結成された新田一郎さん。
同年にリリースされた「イン・ザ・スペース」は、テレビやラジオ等でよく流れていました。
作詞の康珍化さんは中森明菜さんの「北ウィング」、チェッカーズの「ギザギザハートの子守歌」、そして島谷ひとみさんの「パピヨン」など。
個性的な作詞家として今なおご活躍されています。
残念ながらこの「ギャラクティカ・スリリング」は現在、入手困難な状況です。
調べると約20年ほど前に、
「特撮ヒーロースペシャルCD-BOX 特撮英雄伝」
に収録されていました。
現在廃盤であるこのCDは、マニアの間で高額で取引され、とても購入できる金額ではありません。
残るはレコード。
幸いなことにネットオークションなどで、
「ザ・リリーズ」
で検索してもヒットしません。
なぜなら、歌手名が、
「燕奈緒美・燕真由美」
の本名になっているからです。
そんな幸運もありなんとか、
「ギャラクティカ・スリリング」のレコードを手に入れることが出来ました!
もうイントロからわくわくしてきて、エンディングが迫るともう一回聴きたくなるのです。
シンセサイザーとブラスを融合させたような、近未来的なサウンド。
なにより、リリーズさんの歌唱力があってこそです。
本名の燕奈緒美さん、燕真由美さん1985年の楽曲、ギャラクティカ・スリリング。
2019年3月。
澤井玄君がまだ大学生だった頃、夕張市で開催された、
「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2019」
において、学生ボランティアスタッフとして現場のお手伝いをした時のことです。
その前夜祭のゲストにいらっしゃったのが、なんとザ・リリーズさんだったのです。
まさか、リリーズさんがゲストとしていらっしゃっているとは夢にも思いませんでした。
ゆうばりホテルシューパロにて、ザ・リリーズさんと澤井玄さん。
懐かしくて、いくつか動画を拝見しました。
生まれ故郷の夕張市を元気づけようと、何度も何度も夕張へ足を運び、歌われていたのですね。
妹の真由美さんは、脳腫瘍で2度手術されたそうです。
それでも復帰され、おそらく60歳前後のものでしょうか。
脳腫瘍で思い通りに話し、歌えなかったのかもしれません。
それを庇うように、姉の奈緒美さんがさりげなく、同じテンポで寄り添いながら歌う姿に涙が溢れました。
なにより、リリーズさんのファンの皆様の心のこもった声援。
真由美さん、嬉しかったでしょうね。
最後になりましたがザ・リリーズ、燕真由美さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
奈緒美さん、無理しないでくださいね!